あまりにも周りのみんなが観ていたのと、
推し(ヒトリエというバンドのギターボーカル・シノダさん)が
観て泣いて新しいマイクを買うほどだったので、私も観てきました。
前提。これは、絵と音楽を作っている人間の主観的な感想です。
各シーンの感想
ルックバック、絵を描く後ろ姿のコマしか知らないと思ってたけど、
観てるうちに「あれ、読んだことあるな」って思い出してきた。
漫画のコマがアニメーションで動き出す描写が、映像作品ならではの表現で面白かったね。
藤野の漫画はコミカルな絵柄と色で動くけど、京本の漫画は綺麗で静謐な雰囲気でそこに在るのが、絵柄から受ける印象の違いが表れていてなるほどなーと。
クラスメイトの
「京本の絵と並ぶと、藤野の絵ってフツーだな」
みたいなセリフがあったと思うけど、
最初クラスメイトが発した「フツーだな」は、
ただ独り言をぽろっとこぼしたような、
フラットな印象だったのに対して、
藤野が回想したときの「フツーだな」は小馬鹿にした言い方に聞こえたような気がした。
他人の言葉って、自分の受け取り方で歪むんだよね。わかる。
藤野が京本の絵に触発されて特訓を始めた時期。
絵を描き続けることによって、友人関係や家族のような、
俗世との繋がりが断たれていくところ。
少し、私の生活みたいだったな。
物作りに時間を費やしたいから、他人と関わっている場合じゃないって。
時間の許す限り、机に向かう毎日。
劇場に入った後、予告が流れている時間帯にお喋りしているグループがいくつかあって
(ケッ……)って思ってたので、妙に描写が自分に重なって親近感があった。
全体を通して
作品で人は生きるし、
作品で人は死ぬし、
作品で人はマイクを買っちゃうくらい動かされるし、
作品で人は違う世界線に足を踏み入れる。
この作品がなかったら。
この人がいなかったら。
少しでも何かが違えば。
でも、違ったとしても選ぶ道は同じかもしれないし、
違ったとしたら、何かは変わるかもしれない。
他人の才能をみて、自分が何者でもないと気づいてしまうこと。
いつだって自信と不安の間で揺れている。
一人で抱えていたら、ひっそり心が折れてしまうかもしれないな。
いつだって、その愛を言葉にして伝えてほしい。
いなくなってからでは遅いから。
思うままに書いたけど、
どうあれ作り続けるしかないんだよな、という当たり前の結論に辿り着く。
だけど、それを改めて思い出させるような作品だった。
そういうトリガーになる役割の作品があったっていいもんな。
私もそういうものを1つくらい作ってもいいのかもしれない。
私の表現でね。
コメントを残す