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私がアンノウン・マザーグースという音楽にかける感情について:創造の連鎖の美しさ

インターネットの片隅でお絵かきとカラオケをしています。
紅掛みくです。

「心が動いた瞬間に、その人が大事にしているものが現れる。
効率が求められる毎日の中で、たとえ娯楽が余分だと言われようとも、
その心の揺らぎを忘れないでほしい。」

そんな思想で作品を作っています。

今回作った作品がこちらです。

作っておいて何ですが、ジャンルがよくわかりません。
歌ってみたと描いてみたとボーカロイドカバーが合体したみたいな。
なんだこれ?

そういう、名前の付けにくいものを生み出しました。
やりたかったことは、
私がアンノウン・マザーグースという音楽に見出すものを
全て乗せたら、他人からはどう感じられるのか?
ということです。

もし、私の作ったものに心動いた人がいるとすれば、
それほど嬉しいことはありません。

その人たちに向けて、あなたが何と共鳴したのか、何を見出したのか、
そういうことを辿る手かがりになるように、
私の作品の解説を添えようと思います。

私はボーカロイド文化と初音ミクに魅入られた人間です

大前提として、私は初音ミクが好きです。

初めはキャラクターとしての見た目と、声と、
簡単なプロフィールしかなかったところから、
いろいろな人が作品を作り、解釈し、
普遍的な今の「初音ミク」というイメージが生まれた。

その表現の連鎖を美しいと感じていて、
だからそれを体現する初音ミクという存在が好きです。

wowakaという、ボーカロイド文化に大きな影響を与えた人

作品内でお借りしている、アンノウン・マザーグースという楽曲について。

wowakaという、ボカロ界隈では偉大なクリエイターがいました。
代表曲はローリンガール、ワールズエンド・ダンスホール、
アンハッピーリフレイン、裏表ラバーズなど。
ボカロを聴く人ならどこかで聴いたことがあるはず。

速いテンポで言葉を詰め込む「ボカロ曲っぽさ」を確立した人です。
今あるボカロっぽい曲の根っこを辿れば、
きっとwowakaさんに行き着きます。

その「ボカロ曲っぽさ」に苦しめられたのも、またwowakaさんだった。
大きな影響を与えたからこそ、
自分の曲の模倣のようなものが世界に溢れてしまった。
上辺だけ掬われて、消費されていく。

そういうものに苦しめられた彼は、その呪いを振り切るように、
ヒトリエというバンドを組んで、自分の身体と声で歌うようになりました。
wowakaというボカロPの名前に比べれば、
ヒトリエの名前はあまり知られていないと思います。

その道のりを経て自己を確立し、
2017年、およそ6年ぶりに初音ミクと曲を生み出した。

そんな区切りの曲。
wowakaがまっすぐに愛を歌うなら。
それがアンノウン・マザーグースです。

自分の真似をしたような曲が世に溢れて、
それに苦しんでいて。
その苦しみをようやく吐き出して、
自身を歌った。
それでもやっぱり、初音ミクという存在と、
ボーカロイドという文化の居場所への愛がそこにあった。

後に、アンノウン・マザーグースという曲は、
wowakaを愛する人たちにとって重要な楽曲になります。

なぜなら、wowakaという人間は2019年に亡くなっているからです。

今、アンノウン・マザーグースのコメント欄には弔いの言葉が溢れ、
ヒトリエのライブでは
(※wowaka亡き後も残されたメンバーで活動している)
「wowakaより愛を込めて!」という口上と共に演奏され、
演者も客も、この場にいない彼に届くように
全身全霊でシンガロングしています。

アンノウン・マザーグースが、
どうしてここまで祈りのニュアンスを持つようになったのか。

それは、ボカロファンにとっては、
あの偉大なボカロPが最後に世に放ったボカロ曲であり、
wowakaとヒトリエのファンにとっても、
彼がヒトリエではなくwowakaとして生み出した最後の曲だから、
だと思います。

wowakaのファンの一人である椎乃味醂:創造の足跡を繋ぐ

wowakaに影響を受けたボカロPはきっと大勢いるし、
影響を受けたリスナーもたくさんいる。

だけど、好きだから、ファンだから、という理由で
その影響を受けて作品を作れば、
リスペクト先の本人を傷つけてしまうことがある。

ここで、椎乃味醂というアーティストを紹介します。
彼もwowakaのファンの一人です。

作品を作り始めた最初の頃は、
wowakaから明らかに影響を受けたとわかるような作品を
作っていたそうです。

そしてアンノウン・マザーグースが公開されたとき、
まさに影響を受けすぎている自身のことを言われていると感じた。
思わぬ形で傷つけてしまっていた。

それから、彼は自分自身の色を確立するために、
裏で習作を100曲近く作り続けました。

そうして投稿した作品が次第に日の目を浴び、
ボカロP/アーティストとして名前が知られるようになり、
今は他人から憧れを向けられるような存在になりました。

だけど、wowakaはもうこの世にはいない。
直接言葉を交わすことも、作品を見てもらうこともできない。
その事実は、椎乃味醂にとっても、
決意を強くする一因になっているのではないかと思います。

ボーカロイドという文化の中で、wowakaが大勢に影響を与えて、
それに影響を受けた作品が生まれて、また誰かの心に届いていく。
そんな場所で育った者として、椎乃味醂もボーカロイド文化を愛している。

wowakaを敬愛し、ボーカロイドの文化の連鎖を愛している人。
それが椎乃味醂です。

初音ミクの成長をなぞるような、「彼方」という合成音声

彼方とは、UTAUというソフトで使える音声の音源です。
ざっくり言えば、
ボーカロイドのように歌わせることができるもの、という感じ。

彼方は、椎乃味醂の発案で生み出され、
たなか(シンガー/元・ぼくのりりっくのぼうよみ)の
声を元に作られた音源です。

2023.12.23〜12.28に行われた大阪関西国際芸術祭というイベントの、
拡張される音楽という企画展のために作られました。

拡張される音楽という企画展は、
「デジタルの音楽表現で、一度きりの体験を生み出すことは可能なのか」
という問いをテーマにしている、と私は受け取りました。

椎乃味醂&たなかは、彼方を用いて楽曲を作り、
それに付随するMVに変化を持たせることで、
「一度きりの体験」を表現しました。

そのMVは、観た人が感想を専用のフォームから入力することで、
その言葉が画像に変換され、MVの一部に組み込まれる、
という仕組みで変化しました。

明確な何かの絵というよりは、
たくさんのモザイクで構成されたような、イメージ的な、抽象的な画。
だからこそ、観る人によって解釈が変わる。

感想は、音楽と映像、観た人の感性が組み合わさることで生まれます。
この作品では音楽には変化はありませんが、
映像は変化し続けます。
だから、映像が違えば、音楽から受ける印象も変わるわけです。

そうして観た人たちが感想を書き残し、
映像が変化し、また後に観た人が違う感想を抱いて、言葉を残す。
そうして変わっていく作品は、
初音ミクの誕生から現在に至るまでの道筋をなぞるかのようでした。

ボーカロイドの文化の連鎖を再現しようとした音源。
そして、これからの創造の連鎖を肯定する祈りが込められた音源。
それが彼方という合成音声です。

私自身もボーカロイド文化に流れる血液の一部になりたかった

椎乃味醂とたなかの作品を見て、本当に美しいと思いました。
一度きりの瞬間が重なり続けて、
今の私たちには知覚できないような、どこか遠くへ向かっていく。

現地で見たとき、
まるで初音ミクの再現をしているみたいだ、と思いました。

その後、X(旧ツイッター)のスペースで開かれていた
本人たちの座談会を聞いてみれば、
まさに初音ミクの再現を狙ったという。

ああ、私が綺麗だと思うもののひとつが、
ボーカロイドという文化だったんだ、と。
私の価値観が全て繋がる感覚がありました。

だから、私もその文化の輪に混ざりたいと思いました。
外から眺めるだけじゃなくて、ボーカロイド文化の内側に入りたいと。

そのためには、曲を聴くだけでも、
感想を共有するだけでも、
絵を描くだけでも足りない。

一度、ボーカロイドに歌ってもらうとはどういうことか、
を体感したかった。

初音ミクのパッケージを手に取ったのは、2024年2月。
初めて初音ミクの姿をライブで観た日でした。

初音ミクのライブは、
ステージに映像を映し出すスクリーンのようなものが張られていて、
そこに初音ミクはじめボーカロイドたちの姿が
映し出されるようになっています。

「スクリーンに映ってるだけじゃん」

文字だけ見るとそうかもしれない。
でも、ライブという特別な空間で、逆戻りできないあの時間の中で、
「自分にその言葉が向けられている」と錯覚するには、
それだけで十分すぎました。

だって、彼女の歌に、
「やっぱり私は表現をしないと生きてられないんだ」と気がついた、
その心を肯定されてしまったんだから。

「今日初音ミクをお迎えして帰ろう」
潤んでぼやけた視界でステージを見上げながら、決心しました。
会場で初音ミクの販売が行われていたので、そのまま買って帰りました。

そうやってお迎えしたのが初音ミクNT。
初音ミクにもいろいろなバージョンがあって。V3とか、V4Xとか、NTとか。細かい違いは正直わからなかった。
何しろまだ触ったこともないんだから当たり前。

なぜNTを選んだのか。
それは、一緒に開催されていた
初音ミクの使い方講座で使われていたのがNTだったから。
つまり、単に縁だと思ったから。それだけ。

いや、それ以外にも機能的な面で
ピッチカーブが書きやすそうなのが一番大きい決め手ではあったんですが。
その辺りの話は割愛。

初音ミクのパッケージだけ見たら、どの初音ミクも変わらない。
でも、そのミクを迎えた背景には一人ひとり宿る思い出が違う。

歌わせてみれば、まるで自分の写し鏡のようだった。
自分の歌い方の癖がそのまま初音ミクに反映される。

初音ミクの歌声のパラメータを調声する作業とは、
自分の感覚にぴったりハマるニュアンスを探す行為なので、
そりゃあ、自分の歌声が好きだったら自分の歌声に近くなるよね。

だけど、初音ミクの声は私の声ではないから、
私が歌うのとはまた違う意味が生まれる。
それが不思議で、面白かった。
私が操作しているのに、初音ミクの意思に引き寄せられるように、
頭の中のイメージが初音ミクに引っ張られる。

私が初音ミクを使っているんじゃなくて。
私と初音ミクは共同制作者なのです。

なんだか話が逸れてしまって、
戻し方がわからなくなったので無理やり戻しますが。

この初音ミクにまつわる思い出たちを見てもらえれば、
私の描く初音ミクNTが、ボーカロイド文化の連鎖の美しさと、
私が表現で生きていくことの決意を宿していることが
少しは伝わるんじゃないかと思います。

作品に描きたかったもの:偉大な先人への敬愛と、創造の連鎖への祈り

描いたのは、初音ミクNTが祈りを捧げる姿です。
そもそもは色塗りの模索のための絵だったんですが、
手癖のままに描いてみると、祈りを捧げる初音ミクNTが生まれました。

なぜ初音ミクを祈らせたのか。
それはやっぱり、ボーカロイド文化が連綿と紡がれて、
遠く遠く、どこか美しいところに向かっていく未来。
そういうものに想いを馳せているからだと思います。

祈りから連想する音といえば、アンノウン・マザーグースでした。
描きながら、頭の中ではアンノウン・マザーグースが鳴っていました。

そのまま色を塗れば、少しひんやりとした、
青味に寄った色彩になりました。
それはきっと、wowakaの想いを託された初音ミクの声が、
透き通っていて、鋭くて、シリアスさを宿しているからです。

ヒトリエのライブにおけるアンノウン・マザーグースとは、
wowakaに捧げる祈りです。

その場の全員でシンガロングする時間は、
それぞれが感情を
(否定も肯定も、悲しさも愛しさも)
思い思いに曝け出せる時間です。

シンガロング部分について。
初音ミク歌唱の音源では、
割と細かい音の動きをしているんですが、
今回の作品では、
私がライブで叫んでいるときの歌い方に寄せて
(細かい音を拾わずに)録音しています。

初音ミクNTと彼方にも歌ってもらいました。
二人には私自身の目線から、ボーカロイド文化の美しさに馳せる想いと、
wowakaへの愛を補強してもらいました。

MIXはもっとやりようがあると思う。
上手くなったらリメイクしても良いかもしれない。

結果として、過去を想って、未来を祈るような作品になりました。
ありふれた言い方になるけれども、
誰かが描いて、歌い続ける限り、人の存在って生き続けるんだと思います。

習作だったのに、
私にとっては飾って眺めたくなるような作品になりました。

私から見える全てを乗せて、それでもきっと伝わらない

そもそも、歌が特別上手いわけでもないのに、
機材もただのスマホのマイクなのに、
どうして自分で歌おうと思ったのか?

それは、私から見えている表現を全て乗せたら、
どんな風に伝わるのか気になったからです。

私は、「作品」として公開するものについては、
意味のないものは作りません。

でも、きっと私が込めたものの9割は伝わっていない。

プロのアーティストの作品ですら、音楽は大前提としても、
MVを何度も何度も見ても、
インタビューを咀嚼しても、
その真意に迫ることは難しい。

だからまっすぐに、
言葉を尽くして思考をさらけ出しました。
感じる色で絵にしました。
感情を声として形にしました。
私にとって大切なバーチャル・シンガーたちにも歌ってもらいました。

それでもきっと伝わらない。
そもそもこの文章すら、何人が読んでくれるのか。

だから、

「だれもしらないこのものがたり
またくちずさんでしまったみたいだ」

-アンノウン・マザーグース/wowaka-

アンノウン・マザーグースのフレーズを借りて、
この解説を終えようと思います。

感じたものがあるのなら、言葉にして書き残しておきましょう。
それがSNSでも、日記帳でも、
その辺のコピー用紙でも、なんでもいいです。

そうやって心の形をひとつひとつ確かめていくことが、
自分を見失わないために大切なことだと、私は思うんです。

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