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自己紹介

私の感性を生かすために、あなたの感性を揺さぶるために。
インターネットの片隅でお絵描きとカラオケをしています。
紅掛みく(べにかけ みく)です。

少し、自分の話をしておこうと思います。
「自分のままじゃ社会で生きられない」と思っていた人間が、
「自分のままでもいいんだ」と思えるようになるまでの話です。

幼少~学生時代:絵を描いて、空想するのが好きだった

私は、絵を描いたり、空想したりするのが好きな子供でした。

他の子たちがワイワイ外で遊んでいるところに混ざらず、
部屋の中で黙々と作品を作る。

中学校や高校の休み時間には、教室の隅っこで自由帳に絵を描いている。
教室の景色をスケッチしたり、好きなキャラクターを描いていたり。

クラスに一人はこんな人いましたよね。それです。
友達は多くはなかったけど、一人の時間と世界を楽しんでいる。
そんな子供でした。

ただ、意図せず自己中心的に振舞うことで、
他人に迷惑をかけてしまうこともありました。

幼稚園児の頃、寒い冬の日の朝。
布団から出たくないので、
部屋の離れたところにあるリモコンを親に取ってもらおうと駄々をこねたら、
普段温厚な親を苛立たせてしまったこと。

小学校時代、とあるトラブルが起きたときに、
自分が原因なのに、自分から名乗り出ず、他人に罪を擦り付けたこと。

「自己中心的に振舞うと、他人を傷つけてしまう」

そんな経験が積み重なり、
小学4年の頃、
「あ、自分のことは好きでいちゃいけないんだな」と思いました。
そして、これからは自罰的に、息をひそめて生きようと誓いました。

そうやって自分を精神的に傷つけてきた人間なので、
私の根底には、自分に対する無価値感がずっとありました。

自分には価値がない。
自分は愛されない。
独りで生きていくしかない。

そのうち、独りが寂しくなくなりました。
自分さえ楽しければそれでいいと。

芸術に触れることこそが生きる意味

たとえ現実で独りでも、人生を楽しむには十分でした。
だって、インターネットには面白いコンテンツがたくさん転がっていて、
気の合う人たちも何人かはいましたから。

中学2年の頃、ニコニコ動画を眺めていた私は、
ボーカロイドという文化に出会いました。

ボーカロイドとは、ざっくり言えば
作者の代わりに歌を歌ってくれる音声合成ソフトです。

その当時、ボーカロイドで音楽を作るような人たちは、
個人で音楽をやっている一般人~アマチュアが
多かったんじゃないかと思います。

なので、変わった音楽がたくさんありました。

テレビで流れるような普通の音楽がピンとこなかった私は、
そのボーカロイドを用いた音楽を聴いて
「こういう音楽もあっていいんだ」と衝撃を受けました。

そこからボカロ曲を聴き漁り、
好きなボカロP
(ボーカロイドで曲を作る人をそう呼びます)とも出会い、
音楽に救いを委ねるようになりました。

そのうち、
自分の声で歌うようになったボカロPたちも出てきて、
その活動も追いかけました。

好きな人たちの新譜や新曲が出る日の喜びや、
ライブで観る光景の美しさや感動。
そういうものに救われながら生きてきました。

そして、音楽に魅入られた私は、
音楽のファンアート(イメージイラストのようなもの)を
よく描いていました。

自分の解釈を込めて、場面を切り取り、再構成する。
そんな表現を好み、楽しんでいました。

ネット上で、同じ音楽が好きな人と語らうこともありました。
現実世界では人と上手く話せないけど、
SNSでは流暢に語ることができる。

そして、気の合う人たちと、
好きな作品について文章で語り合う。

絵を描いている時間。
好きなアーティストの新曲を聴いたり、
ライブに行ったりする時間。
作品に触れて感じたことを言葉に書き残す時間。

そういう行為は、人生の苦しさを忘れさせてくれました。
それに、その時間は本当に幸福で、
こういうことのために生きているんだ、と何度も思いました。

就活~社会人時代:「社会に求められる自分」にならなければ生きられない

それでも、苦しさから逃げられない時期がやってきます。
それが就職活動と、社会人生活でした。

「誰からも必要とされなくても、独りきりでも毎日楽しい」
就職活動では、その理屈が通用しなくなったからです。

だって、社会に受け入れてもらえないと働けない。
お金が貰えない。
生命の問題として、生きていけない。

社会では、社交的で、要領がよくて。
そういう人が求められている。

私はその真逆。
だから、

「自分のことなんてどこも拾ってくれない」
「もう人生ここで終わりでいいのに、なんで苦しんでまで生きなきゃいけない?」
「文章だけ上手くたって、仕事じゃ何の役にも立たない。結局私には何もない」

そうやってどんどん思い詰めていきました。

やらないといけないことで埋め尽くされて、
心は現実に打ちのめされて、
とっくにもう、何かを生み出す気力なんてありませんでした。
絶望を歌うような音楽を救いにして、点滴のように流し込みながら、
どうにか息をしているだけでした。

 

なんとか内定を得て、社会人生活が始まった後も地獄でした。
働いていると、どんどん肩身が狭くなっていきました。

不器用で、話すのが下手で、要領よく動けない。
言われたことを整理して話すのが苦手で、伝言もできない。
声も小さいから、大きな声を出そうとすると余計に緊張する。

何度も上司に叱られるようになりました。
「あなたのためを思って言ってる」
「あなたができる量の仕事を振ってるはずだけど」
「またそうやって同じ失敗を繰り返すの?」

そのうち、上司の言葉が、
職場の総意だと感じるようになりました。
みんな、みんな私のことを嫌っている。無能で、役に立たない、足手まといだと。
ああ、私はここにいてはいけない人なんだ。

そのうち、死にたいと思うことが日常になりました。死にたいと思いながら、身体を無理やり動かして、朝の支度をする。重い身体を引きずって出勤する。笑えないのに無理やり笑って、なんとか仕事をこなす。死んだ目で昼食を食べて、残りの休憩時間はたまった仕事を進めて、また業務に戻る。

帰宅してからは、何もする気になりませんでした。ご飯を食べるのは好きだから、食事だけは楽しみでした。でも、それ以外の気力がなくて、床に寝転がってネガティブな思考に飲まれて、自分を責めて、泣いて、そのまま床で寝る。寝た気がしないまま翌朝を迎えて、また無理やり出勤する。

「ご飯は食べられてるし、眠れてるし、
仕事には行けてるから、私はまだ病気じゃない。
だから休めない」

そう思って踏ん張っていました。
うつ病や適応障害の診断基準を調べては、
「自分はまだこれじゃないから、病院に行っても仕方がない」

そうやって退路を断っていました。
でももう、生きることから逃げたくて仕方ありませんでした。

そのうち、本当に限界がきて、
とにかく何か薬に頼りたくて、どうにかして病院に行きました。

おまじないでもなんでもいい、
とにかく、とにかく楽になりたかった。

そうして受診して、
心理士の方や先生に全部聞いてもらいました。
病名まではつかなくて、抗不安薬だけお守りとしてもらいました。

現実は何も進展していないけど、
人に話して受け止めてもらえたことで、
心が少し軽くなりました。

「自分のままでいいんだ」という気づき

それから私は転職活動を始めます。
その過程で、自己分析の一環として、
自己理解プログラムというものを受けました。

自己理解プログラム 公式HP

自分の大事なこと、得意なこと、好きなこと。
その3つを明確にし、
それらが重なったところが「本当にやりたいこと」である。

その理論の元に、
自分の人生を振り返ってそれらを見つけ出していく。
そんなプログラムです。

その結果、
私は「あ、誰かになろうとしなくていいんだ」と思えました。

普通の人間みたいに、社交的だったり、
要領よく仕事ができたり。
必ずしもそうなる必要はないんだ、と思えたんです。

私は内向的で、こうやって画面と向き合って、
思考を文字に起こすのが楽しくてたまらない。
それでよかったんです。

「誰かみたいにならなくていい」と、
自己理解プログラムはそう言ってくれました。

3年間作品を作れなかった私が、3ヶ月で3作品も作れた

「自分のままでいいんだ」
そう思えたときから、今までの憂鬱が嘘みたいに、心が晴れました。

自己理解プログラムを受けるまでは、
仕事で疲れ果てて、
作品を作る気になんて全くならなかったのに、
仕事と並行しながら、1か月で作品をひとつ生み出すことができました。

2024.2.23 悪魔の踊り方(キタニタツヤ)のUTAUカバー動画を投稿 

また、知り合いにイラストを描いてほしいと頼まれて、
提供することもありました。

2024.3月頃 知り合いに動画のサムネイル画像を提供

アイデアが湧いてきて、イラストメイキングにカバー音源をつけて動画にしてみたりもしました。

2024.4.18 アンノウン・マザーグース(wowaka)のカバー音源&イラストメイキングを投稿

学生時代終盤から社会人生活までの3年間、
感性が鈍って全く作品を作れなかった自分が、3ヶ月で3作品も作品を作れたんです。

自分の人生に集中した結果、
仕事の苦痛をどうにかやりすごせるようになって、
少しずつ自分の人生を楽しめるようになってきました。

そして、ゆくゆくはこんな向いてない仕事なんて辞めて、
自分の得意なことと好きなことを活かして生きていきたいと思って
行動しています。

「自分のままじゃ社会で生きられない」と思っている人が、「自分のままでもいいんだ」と思えるように

受け入れてもらったとき。
許されたとき。
それでいいんだって言ってもらえたとき。
私の心が軽くなったのはそういうときでした。

「みんなみたいな真っ当な人間になれないのなら、生きていてはいけない」
そんな強烈な固定観念を溶かしてくれました。

人に言えない感情も、絵や音楽が許してくれました。
社会に居場所なんてないと思っていたけど、
「あなたのままでいい」と言ってくれる世界がありました。

だから、あなたの側に、あなたを許してくれる存在がいないなら、
私の言葉や作品を何かの足しにしてほしい。

気休めでもなんでもいい。
そうやって1日1日を生き延びて、
いつか自分の居場所に辿り着いてほしい。

 

私は、「社会から求められるもの」や「やらなければいけないこと」に埋め尽くされた結果、
私の大切な「作品を生み出せるような感性」を見失いました。

だから、あなたには大切なものを忘れてほしくないし、
忘れかけているなら思い出してほしい。
自分の感情を守って、自分の感情を動かして、
どうか自分自身の大切なものだけは他人に譲らないでほしい。

この社会は効率と意味を求めてくるけど。
余分と無意味さから生まれる感情が、
自分自身に立ち返るために必要なんだと思います。
感情が動く瞬間に、きっとあなたの大切なものが眠っています。

 

このサイトでは、
まずは「周囲の目線に振り回されず、自分らしく生きること」について、
私の思うところを書き連ねてみようと思います。

ゆくゆくは、日々ストレスに苛まれているあなたが、
本当に大切にしているものに立ち返るための何かを
提供できたらなと思っています。

改めまして。
私の感性を生かすために、あなたの感性を揺さぶるために。
インターネットの片隅でお絵描きとカラオケをしています。
紅掛みく(べにかけ みく)です。よろしくどうぞ。